
アリリア
ARIRIA
SALON HISTORY
2007年 – 自宅の一室でサロンをはじめる
お客様のお肌により沿うよりも、化粧品を売る事が中心のエステや、必要以上に皮脂膜を落とすエステ施術を行う違和感。そして、子供のてんかん発症によって「常に救急車に乗る日常」によりサロンを退職。病気がちな子供に寄り添える様、築30年の自宅の一室で「アロマトリートメントサロン」をはじめる。
2011年 – 東日本大震災により半壊
2011年3月、東日本大震災で自宅が半壊となり、先行きが不透明なのもあった為、子供達を連れ半年ほど那須に移住。自然栽培のハーブ屋さんに行くのが楽しみとなり、豊かな自然を感じ、改めて自然の癒しを体感。
2012年 – 小さな小屋でサロンをはじめる
移住していた際に、荷物を入れていた小屋を改装し、小さな6畳のサロンで再スタート。
2015年~2017年 – 更年期障害が酷くサロンをたたむ
更年期障害の眩暈とホットフラッシュの酷さから、大好きなサロンをたたむ決心をします。とても辛い決断でした。
2018年 – 早期閉経後に再々スタート
かつての顧客様から「あなたの技術が勿体ない!場所は提供するから、サロンやりましょう」と提案を受け、いわき市泉玉露にてサロンを再々スタート。
2021年 – 好きな世界に関わり続ける為に
女性として母として、セラピストとして生きてきたのですが「家族の健康」や「更年期障害」で、幾度も私が大好きな自然美容の世界が遠きました。その度「どうしたら好きを続けられるのか?」を考え「化粧品開発」の挑戦をスタート。
2022年 – MYサロン&MYブランド
いわき市泉滝尻に「ショップ・サロン・スクール」店舗型サロンを建設。2022年11月、2021年より取り組んできた化粧品「雲の上はいつも晴れ」を発売。

AKANE ABE
阿 部 茜
MY HISTORY
2001年 – 20歳で母になる
息子は、食物アレルギー、化学物質過敏症等のアレルギーを持って産まれ、世間を知らない若い母だった私は「健康に育ててあげたい」「痒みで寝れない子供をどうにかしてあげたい」と、覚えたてのパソコンで、肌について調べる毎日をスタート。
2003年 – 手に職をつけようと決意
模索するうちに出会った、自然療法・アロマ・手作りコスメで息子の状態が改善したことから、植物の虜になりました。植物の虜になった私は、アロマ、フラワーレメディ、リフレクソロジー等を学び、手に職をつける事を目標と掲げました。
2006年 – エステの世界へ飛込む
若くして母になった私は、右も左もわからないまま、ぴょんっとエステの世界に飛び込みました。基礎化粧品からメイクアップまで、中身がわかる手作りコスメで過ごしてきた私は、一般的な化粧品でのエステに違和感を感じるようになります。エステをされているのに、ボロボロになっていく素肌。ボロボロの素肌を隠す為のファンデーション。私の気持ちはエステから遠ざかっていきました。
2008~2011年 – お客様に寄り添える技術スキルを目指して
技術スキルを上げる為、ロミロミ、バリニーズ、リンパ、ホットストーン、マタニティ等、様々なトリートメント技術を学び続けました。
2012年 – オーガニックエステを開始
「私の様に、敏感肌やアレルギー肌で悩む女性の力になりたい」という想いから、オーガニックコスメでのエステを導入しました。当時、3人の子供を持つシングルマザーになっていた私には、オーガニックコスメ商材の契約は大きな額でしたが、アレルギーや化学過敏症でエステを受けたくても受けられない、私の様な女性の「きれになりたい。健康な素肌になりたい」そういった女性の助けをしたいと想う気持ちは揺らぎませんでした。極度のアトピーで「どこに行ってもお断りをされてしまった」という彼女がポツリと言った「私、知りませんでした。エステって気持ちいいんですね。」その一言が忘れられません。
2014年~2017年 – 若年性更年期と早期閉経
33歳、私は更年期障害を経験します。トリートメント中の異常な汗。眩暈を堪えての毎日の施術。漢方薬とホルモン療法を行っていましたが、エステ中にお客様に汗が垂れてしまうのでは?という恐怖感。倒れてしまったらどうしようという不安感。そんな不安を抱えたまま仕事をする事への罪悪感。大好きな仕事が遠のくという、一番辛い時期を過ごしました。